談志が死んだ。

『俺が死んだ。"俺"とは、この俺様、落語立川流家元立川談志のことで、死因は「ふとした病」である』。

これは、2002年に講談社から刊行された「立川談志遺言大全集 (14)芸人論二 早めの遺言」の最後に収められている「死亡通知」の冒頭である。

家元はこんな前から遺言(と称するもの)を書いていたわけで、一門の中でも遺言だとか、家元が死んだらどうなるなんて話は、みんながネタにしていたもんである。2003年には「談志が死んだ」というそのものずばりな名前の本も出版されている。

ここ数年は、実際家元が体調を崩し、「(その時に)家元が健在なら」なんて話はよく出るようになっていた。でもなんか、わたしの中では、家元は死なないような気がしてたんだなぁ…。いやむしろ、遺言だなんだと自分で言っていたからこそ、そう感じたのかもな。

前にも書いたことがあるかも知れないが、自分がちゃんと落語を見に出かけるようになったのは、1993年にフジテレビで放送された「落語のピン」という番組がきっかけである。「落語のピン」という番組は、家元がテレビ向けの落語を研究するみたいなことを言ってた番組で、カメラを意識して、明確にカメラ目線でやったりということをやってたんですな。

さっき、DVDでその映像を何本か見ていたんですが、うん、面白いんだけど、最近の家元とはまるで違うことに改めて驚いた。まぁ、最近っつっても、わたしがちゃんと生で家元見たのは数年前が最後ですけどね。なんか、見ていて辛くなってしまって、チケット取るのも大変ってのもあって、離れてしまっていたんだなぁ。

立川談志という人は、ずっと変わり続けていった人であるのは間違いなくて、早くからテレビを重視して、自身がバラエティに出たり、「笑点」を始めたり(ご存じない方もいるかも知れないが、あの番組のフォーマットは談志が作ったもんです)。「落語のピン」もその延長上にあったものでしょう。

まぁ、わたしみたいな素人が談志語りをするのは無理があるので、その辺は談志信者の方々にお任せしよう。

自分は談志信者というより、志らく右翼なんで、実は家元についてはそれほど重要視してなかったところがちょっとある。でも、こうして亡くなったと聞いて、今もの凄い喪失感に襲われている。ちょっと思考が止まるくらいの喪失感。してみると、やっぱり自分の中でも、立川談志という人は、もの凄い存在感を持っていた人なのだなぁと、改めて実感しているところです。

こうしてみると、志らく師があのタイミングで、真打トライアルを企画したのは、家元の体調とも無関係ではなかったのかもなぁ。第一回目のときに「最終結果が出たときに、談志が生きていれば」という話があって、冗談だろうと思ってたけど、そうじゃなかったのかもなぁ。なんとか、亡くなる前に、孫弟子から真打をと思ったのかもしれない。まぁ、本人に聞いてもそんなことはないとおっしゃるだろうけど。

こしら、志ら乃という孫弟子初の真打昇進は見届けて欲しかったなぁ。10月27日からずっと意識が戻らなかったという話なので、2人を真打に上げるという報告も届いていないはずなんだよな。それはちょっと切ないなぁ…。
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